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Channel: 下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog
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スリランカから若者がホームステイにきました。

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3月29日スリランカ国コロンボ市から昨年9月に高校卒業した
若者が来日して来ました。

定期的に開催していた視察団で中国昆明市からスリランカ訪問の
案内がきたとき参加希望を表明した折に
小中高等学校視察を加えていただきました。
理由は過去に書いたブログを参考にして頂ければ理解していただけます。

私の二人のセガレも家庭を持ってそれぞれ独立したので
6LDK自宅に家内と私の二人だけで家庭内別居を続けていました。

事業経営の実権もセガレに譲って今はお飾りにちかい状態です。
生活にも少し余裕も出来て刺激のない家庭生活が続いていました。

家内に相談しないで思っていたスリランカの向学心のある若者を
書生のつもりで預かることを決めてしまいました。
家内は事あるごとに「勝手なことを私に相談なしに決めた」と
泣き事を度々言っていました。


成田空港は以前に比べて警察官の多さにびっくりしました。


11:45到着予定が2時間ちかく遅れて到着しました。通関・税関検査では
若者の検査が厳しくゲートから出てきたのは14:30になり待ちくたびれた。


            最後の最後に現れた。


たくさんの荷物を運ぶために家内同伴で迎えに行った。
家内が思っているより好青年で少年の面影が残っている素直な若者でした。


私の座るテーブルに座っているチャラナ君
スリランカ・ウイスキーのプレゼントをもらった。
ヤシの実で作られた蒸留酒でフルーツ(甘味)のあるブレンデットウイスキー

こちらは飲めればブランドにこだわらないので問題ない。


横浜を中心に知っているBARに置いていないめづらしいウイスキーなので
当分、一本は口つけないでとっておく。


酒の肴に見たことないツマミをお土産にもらった。

過去に書いたブログを貼り付けする
2014年01月30日 06時40分00秒

3月は親日国家スリランカを訪問します。

テーマ:旅行記

2月は大気汚染で問題になっている北京に滞在予定をしています。


滞在中はパン工場の設備投資を含む前向き投資について

総経理、工場長、日本人スタッフとの打合せ会議が予定されています。


3月は現在募集中の徐視察団に参加して中国、昆明からスリランカに

入国して企業視察、株式取引所及び教育機関施設(小中高校)

日本からの進出企業等々を物見胡散で見学してきます。

電話:03-6867-1252 FAX:03-6862-4760
http://keika-corp.co.jp/ 「徐さんの中国株」


スリランカはとても親日国で日本企業も多く進出していて、先日テレビで

見ましたが欧州から受注した大型客船もスリランカのドックで造っていました。

教育が確りしていて英語圏内で経済発展も他国より発展の余地あり。


帰りには1940年時代 魔都上海の外灘・日本人租界探訪と屋台巡り。


今回のスリランカ訪問のキッカケは私の行きつけBARのオーナー

スリランカ人です。そこのバーについては過去に数回ブログにも書いた。


ラッキープレイス 」1970年代の雰囲気のバーで異国情緒な港町の

BARの代表になるでしょう。

http://ameblo.jp/tozando/day-20130508.html


ホテル・ニューグランドのBARに来た欧米人が混み合っている時に

バーテンダーがわざわざラッキーに連れて行き紹介しています。


理由は安心して呑める事、一元客でもボッタくられない、

ラッキーは英語、日本語の会話できるインテリで安心。


 
 

話がそてましたが

ラッキーが時々母国のスリランカの話をするとから始まりました。

話の内容は下記の事柄で終戦後日本が独立する過程で


日本五分割案が検討されていた時に

スリランカ初代大統領になったジャヤワルダナが


講和条約の演説によって、日本の侵略や被害で「日本憎し」で

集まっていた国々が、ハっと我に返って、

日本を自由諸国陣営の独立国に取り込む方向へ流れができたという。
 
 スリランカのジャヤワルダナの(講和会議での)スピーチについては、

日本ではあまり紹介した記事を目にしない


貼り付け

サンフランシスコ講和会議 スリランカ代表スピーチに救われた。


敗戦後、日本が独立するため行われたサンフランシスコ講和会議には、

ソ連が日本の主権制限案を提案したり、

議事進行を妨害するために32人の代表団を送り込んきた。


 そのどぎつさには、今聞いても「汚ねえことする!」と腹が立つが、

その講和会議には主席全権に

吉田茂、補佐官に池田勇人、宮沢喜一が出席し緊張と不安の中に開会された。





  是非クリックして読んでください↓(日本統治についてスリランカとの関わり)

http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-affb.html


スリランカ行きに興味をいだいたのは以上のことでが

今日の日本の発展につながったスリランカ国に協力できる方法を

模索して出来ることは何か・・・考えています。


明治、大正、昭和初期にアジアの発展に尽力し国士舘大学創設者で

時の政治家にも影響を与えた偉大な人物、私利私欲のない

頭山満先生の千分の一、万分の一でよいから貢献したい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2014年03月25日 06時40分00秒

スリランカのジャヤワルダナ元大統領が日本を救ってくれた。

テーマ:私の人生
過去のブログと同じ事にふれていますが私にとっては
大事な事なのでテレビで一部放送された部分も張り付けました。

今回の視察団が訪問したスリランカ訪問に現地の高等学校訪問を
お願いしていました。現地の義務教育は6歳から18歳まで

日本でいえば高等学校卒業までが義務教育となっていました。
児童、中学生、高校生一同に会えてとても勉強になりました。

(ウィキペディアより)
日本との関係[編集]
閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日、更に政界引退後も日本を訪れている。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流に尽力した。1989年、昭和天皇の大喪の礼に本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇された。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。
(貼付け終わり)

下記の動画は日本人にとって是非知ってもらいたい大事な動画です
上記のYouTobeは日本を救ってくれたスリランカ国が
1951年サンフランシスコ講和条約での日本を救った名演説の解説


当時ソ連は北海道・東北6県を国境に定める為に35人参加させて講和条約で
スリランカ案の反対妨害を企てたのですが各国の流れが変わったという事です。

ジャヤワルダナ代表の15分間の演説で戦勝国アメリカ・イギリス・中国・ソ連
各国の流れが変わったことで現在の日本の発展につながっていった。

ホテル・ニューグランド近くの行き付けのBARラッキープレイス
その奥に同じくBARスリー・マテーニィーいずれも行き付けの店。
横浜港の各国の客船の霧笛も聴こえる異国情緒ある山下公園近くです。



ラッキーさんにスリランカの日本人の知らない話は聞いたことが
ありますが「明日スリランカ旅行をしてくる」と話したら

たまたま早かったので他のお客がいない事を良いことに
サンフランシスコ講和条約で演説したジャヤワルダナ元大統領の孫と
高校生時代の同級生で泊まりに行った事もある友人でした。

この写真はお客様には誰にも見せていない大事な写真です。
左端の赤い○が青年時代のラッキーさんです。

大統領の孫の結婚式に招待された写真ですが正面を向いて
歩いている大きな赤い○がジャヤワルダナ大統領夫妻、
一歩後ろの男性は後に首相になっか方、右端は大蔵大臣と話していました。


   (ラッキーの奥様が写してくれた写真です)

ラッキーさんのお蔭で日本人が知らないスリランカ国の大事な事を
知りスリランカ国訪問できたことに感謝しています。

帰国後もジャヤワルダナ大統領についてネットで調べていましたが
新しい発見もできました。

小説での邱永漢著書や戦前の出来事に時々登場する戦前の国士と言われ

私が尊敬している 頭山 満の「アジア主義者の巨頭」と
言っていた気持ちが理解できる様になりました。


私の今の心境は、小さなことでもなにか恩返しが出来ることが
なにかあるのでは・・という心境になってきました

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(貼付け始め)
[スピーチ抜粋]
アジア諸国民が日本は自由でなければならないということに感心を持っているのはなぜで­ありましょうか。
それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で­日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷­従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、­インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼らの愛する国々が解­放されるかもしれないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出­来事を思い出すことができるのであります

空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯及びわれわれが連合国に対して天然­ゴムの唯一の生産者であった時、われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたこ­とによってもたらされた損害はわれわれに対してその賠償を請求するつもりはありません­。
何故ならばわれわれは、そのメッセージがアジアの無数の人々の生命を高貴ならしめたあ­の偉大な教師の言葉すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によっ­てのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。
それは偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージであります。

故にこの条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日­本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにす­ること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること並びに日本経­済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することでありま­す。
Full
(貼付け終わり)
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2014年03月16日 06時40分00秒

スリランカ国立 小中高校一貫教育を視察しました。

テーマ:私の人生

スリランカ国の訪問の一つに小中高校の義務教育を視察することでした。


公立学校は6歳から18歳までの一貫教育の12年間同じ学校で学びます。

1年生(6歳)~12年生(18歳)という言いかたで表しています。

学費・教材費など一切無料なので貧しい家庭でも安心できます。


こちらの義務教育では各国の言葉の読み書きの選択教室別に分かれています。

日本語を学ぶ教室にはたくさんの生徒がいます。


学年が進む度にひらがな・カタカナ・漢字などに進んで行きます。

訪問した10歳児(小学校4年生)ですでに日本語を勉強しています。


親日関係では台湾と同じ、又はそれ以上の親日国家である事を改めて

知る事が出来ました。

民族間の内戦が終結してから中国企業が多く進出していますが

スリランカ人の本音は日本企業の進出を多く望んでいます。


今回の学校訪問のきっかけは、横浜山下町で船の汽笛が聴こえる

異国情緒豊かな「BARラッキープレイス」スリランカ人オーナー

との会話がきっかけです。


行きつけのBARで彼は私にだけ本音で政治・民族・教育の話をしてくれます。

ただし他の客がいない二人だけの時だけです。


1)日本の歴史教育・教科書にはアジアで起きた真実は書かれていない。


2)NHK,、朝日、毎日、東京新聞、TBS、日教組、中労委・日弁連をはじめ
  真実を語らず、中国、韓国などに

  媚びている反日マスコミ報道で日本人の思想回路をゆがめている。


3)彼が(ラッキー)読んでいる海外から持って来てくれた英字新聞は

  航海士、船長、船員が読み終った新聞と日本で左翼新聞編集者の

  検閲?を受け時々 英字新聞が反日記事に書きかえられていると、話す。


4)スリランカの親日国家がサンフランシスコ講和条約の原案に反対して

  戦勝国のアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国と共同租界5分割に反対した。


5)スリランカは第二次大戦で輸出で大事なゴム園・港湾設備・インフラ設備を

  日本軍の零戦機で爆撃壊滅されたけど

  「恨みを恨みで報復する事には平和が訪れない」と損害賠償請求をしていない。

  (反日国家、韓国・中国に爪のアカでも飲ませたい心境!)


6)彼の話には戦後の吉田首相、岸・佐藤総理までは外務省、政治家、
  高官の
東南アジア国訪問する前にスリランカに立ち寄りその後に

  訪問する国に行け、と指示していた話をしている。

 

  その事は元麻生副総理が一番分かっている、と教えてくれた。



今回の訪問した国立コロンボ学校には6歳から12歳の生徒5100人の

在校生がいます。写真は旅行者の佐藤さんに現地ガイドが学校担当通訳を

紹介している場面です。担当者はNHK現地特派員を兼ねている。



正面には仏像があり雰囲気は学校に来たとは思われない。



日本でいえば小学生と高校生が同居している不思議な感じ。


5100人の在校生を教育している校長先生は若い方でした。


 

上記の二枚の写真は日本語担当の女先生は知的で美人でした。

流暢な日本語で話しかけられるので流石に親日だと感じる。

最終学年12年生教室の日本語教室での若者です。

笑顔で迎えてくれ、目が輝いて見えました。


うちの孫と同じ年齢に見える児童ですが先生の前では皆さんおとなしく挨拶。



違う教室では先生不在でしたがご覧の通り我々を大歓迎してくれた。

年頃は10歳前後のネアカで笑顔、眼はキラキラしている。

子供達はその内我慢が出来ず大声を張り上げお祭り騒ぎになる。


中には机に立ち上がり騒ぎ出す、うちの孫と同じ行動をしている様な勘違いになる。


数分後に女先生が教室に入った瞬間スリランカ語で「静かに!」

手のひらを返したごとく、波が引いたごとく、シーンとなる。


180度違う行動は子供たちの特権でどこの国の子供達と変わらない。


 

教育熱心なスリランカ義務教育を視察して国の将来は思っている以上の

発展は間違いなし!


教室での視察を終えて校庭付近の子供達の明るい顔にはうれしい。



訪問を終えて校門前での記念写真は日本語担当女先生二人と右端の

完ぺきな日本語を話す海外担当通訳はNHK特派員は昔NHK英語先生を

していたウイッキーさんと似ていました。


コロンボ市内でバス中で観た光景ですが、今回訪問した学校と違います。

クリケット競技での対抗戦の応援風景ですが公道を大型トラックで行進。


ここの学校出身者には政治家、官僚の多くが卒業生しているので

公道使用を多めに認めていると現地ガイドさんの発言でした。


今回の学校訪問のきっかけを与えてくれた視察団、ヨコハマの

BAR博学非凡なスリランカ人オーナーに感謝いたします。


今回のきっかけで「金を稼ぐだけは半人前!使って一人前!」二人の

セガレも厳しい社会情勢にも関わらず後継者としてパン事業を引き継いでくれた。


200㎡の自宅に年寄り二人の生活をしているので

ホストファミリーになってボランティアでこの際スリランカ人の大学生を

4年間住ませて日本の大学費用をはじめ生活費の面倒をみてやる気持ちになる。


ホームステイさせて親日国家にお返しする方法も視野に入れ、

晩年の人生を過ごしたいと思っています。
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過去に書いていたブログをそのまま貼り付けした。

実行できて心の負担は軽くなったが貯めた預金も少なくなるのは
承知している。セガレ達には税金を納付て自社株贈与、
マイホームも与えた。

財産は死んでも墓場まで持っていけないので
残りの財産は仏教国スリランカ成仏(罪滅ぼし)につなげたい。




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