先週はFacebookお友達から送られてきたスピルバーク監督作品
映画DVD「太陽の皇帝」を再度見直ししながら上海租界時代の出来事を
自分なりに思ったこと、感じたことを書きます。
上海は昭和51年時代から度々訪問しています。訪問した回数は
数十回あり、数え切れない回数です。
1940年代日本人居留民団10万人が生活していた租界 虹口(ホンキュウ)
商館が並び立つ外灘・フランス租界地を個人で調べたり、
個人で頼んだガイドをつけたりしていましたので経済発展を中心とした
考察団・視察団参加者よりも詳しいと自負しています。
考察団・視察団では企業訪問・セミナー等々が中心ですが興味が薄れて
晩年は1940年前後の歴史に興味を持ち上海の街角、出来事の場所など
探索しながら現地確認にとりつかれてしまいました。
しかし上海は1700万人の大都会で香港700万人と違って
まだまだ見ていない知らない出来事、場所もたくさんあります。
スピルバーク監督が1941~1946時代を描いている「太陽の皇帝」は
日本軍が上海事変を起こして上海租界で生活していた欧米人達の悲劇を
舞台にしたアメリカ側の反戦映画ですが当時の日本軍もひどい事をしています。
事変とは戦争・侵略のことで言葉だけでは理解しづらい言い方です。
ストーリー[編集]
日中戦争中の1941年の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイミー(通称ジム)は、日本の零戦に憧れる少年。だが、日英間で開戦し日本軍が上海のイギリス租界に侵攻した際に、避難民の大混乱のなか両親とはぐれる。独りぼっちになった少年は中国人少年に追い回されるが、不良アメリカ人のベイシーに救われる。
生き抜くために空き巣・泥棒などの悪事を重ねるが日本軍に捕らえられ捕虜収容所、そして蘇州の収容所へ送られる。飢えと病気、戦争の恐怖で死や絶望に囲まれ庇護もなく淡々と成育していくジェイミーだが、しだいに収容所の人々との交流の中に生きる知恵と希望を見出していく。一人の無邪気な少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、健気に生き抜こうとする姿をありありと描写する。
(貼り付け終わり)
太陽の皇帝で観たシーン1941年時代の上海租界
左のビルは当時パレスホテル、右はサッスーン財閥和平飯店
上空に見える飛行機は日本軍の零戦が軍事基地を空爆するシーン。
同じく外灘のシーンで左のビルは上海総会(クラブ)ビルのドームは旧HSBC銀行
尖った塔は上海税関と緑色の和平飯店。
右側の彫刻は現在は取り壊されていますが残念です。
上海淮海路からガーデンホテル(花園)ホテルオークラに行く交差点
当時と同じく映画館がありますから1940年時代と同じでした。
蘇州河口に掛かっているガーデンブリッジには日本軍の検閲があった場所、
日本軍が南京から上海に突入したのが「上海事変」です。フランス租界に
住んでいた欧米人達は強制的に上海郊外の龍華飛行場付近に疎開命令。
当時上海での上流階級で生活していた欧米人は最悪の生活になり
餓死した人たちも多く最悪の時代でした。
作者クリストファー・ニューの上海租界時代の小説は二回読み直ししました。
この小説で当時の上海事変も詳しく書かれています。
この小説で上海に興味がわき上海通いが多くなった理由の一つです。
ブログ・動画でも何回も上海を舞台にした話題を取り上げたアドレスです。
米中合作映画「SHANGHAI 上海 」
http://ameblo.jp/tozando/entry-10997004251.html
http://ameblo.jp/tozando/entry-11584240729.html
渡辺謙出演のアメリカ映画「上海」も上海事変を舞台に真珠湾攻撃の
艦隊の行動を探りだす物語は実際にあった筋書きでした。
BSテレビ放映を今でも保存していて見る機会があります。